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江戸から明治のひな人形

2023-07-26 12:25:45 guanli 7

江戸から明治のひな人形に魅せられて「衣装も顔も1点1点違う」


ひな人形が大好きで、江戸時代から明治時代の人形を約50点も集めてきた男性がいる。


 茨城県笠間市の国井暠一(こういち)さん(77)は、ひな人形について語り出すと、止まらない。「かつて、ひな人形は全てオーダーメイドでした。だから、衣装も顔も1点1点違うんです」


 ひな人形は時代の変化も映し出す。国井さんのコレクションの中で最も古いものは1715年ごろに作られた享保びなだ。


 足を組まずに、両足の裏を密着させるように座っている。戦国時代の終わりからまだ100年余り。国井さんはこう分析する。


 「この座り方だと、あぐらと違って足を崩さずに一気に立ち上がれたようです。いつ誰が攻めてこようと、次の行動にいち早く出るには、一番良かったのではないでしょうか」


 1780年代以降、丸顔が特徴の次郎左衛門びな、公家の装束を模した有職びなになると、もう少しのんびりしている。あぐらをかいている。今の人形も、あぐらをかくのが一般的だ。


 国井さんの実家は、山形県のほぼ真ん中にある河北町で、代々続く呉服店だった。江戸時代、最上川の舟運による紅花交易で栄えたまちだった。


 染め物や口紅の原料となる紅花を上方に運んだ北前船は、京都で豪華なひな人形を積んで戻った。人形は船で河北町にも運ばれ、国井さんは幼い頃から親しんでいた。


 高度経済成長期になると、1点100万円以上する貴重なひな人形を京都の骨董(こっとう)品店で集めた。「呉服店をやっていたから、特にひな人形の装束にずっと興味を持っていた」


 欲しいひな人形を見つけると夢中になった。ある日、骨董品店の当主から、「大きな有職びなが手に入った。博物館が購入しそうだ」と聞いた。国井さんは、急いで「ちょっと見たいから、頭だけ送ってくれ」と頼んだ。


 送られてきた頭は、有職びなの中でも特に大きく、購入を即決した。「頭を送ってしまえば、胴体も送るしかないでしょ」。その骨董品店もなくなり、江戸時代のひな人形は、市場ではほとんど出回っていない。


 国井さんは、こうして集めた人形をひな祭りに合わせて、自宅で一般公開していた。人気を集めたが、その自宅は町役場の改築に伴い、取り壊しの対象に。これを機に2019年、役場に紹介されて訪れた笠間市が気に入り、夫婦で移住した。山形と違って、雪下ろしの負担もないところもよかった。


 20年、47点のひな人形を市に寄付した。個人では守り切れないと考えたからだ。「俺たち夫婦が生きる年数はたかが知れている。ひな人形たちは今からさらに数百年生きるわけです」


 国井さんのコレクションが見られる展示会が、ひな祭りの3月3日まで、同市立笠間公民館で開かれている。


 傷が増えてきた人形もある。「古いひな人形の素材は自然由来なので、いつかは土に帰る。それまで大切に受け継いでほしい」。そう願っている。

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